
last modified: 2007/12/13
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今回も素晴らしい作品を選考できたことを審査員一同、喜ばしく思っております。
まずは、「グレッグ・イーガンとスパイラルダンスを--『適切な愛』『祈りの海』『しあわせの理由』に読む境界解体の快楽」によって優秀賞を受賞された海老原豊さん、そして、「国民の創世--<第三次世界大戦>後における<宇宙の戦士>の再読」によって、同じく、優秀賞を受賞された礒部剛喜さん、おめでとうございます。
今回は、このお二方の、優秀賞、ダブル受賞、ということになりました。
では、その選考の過程について、簡単ながら述べさせていただきます。
今回の審査員は、前回に引き続き、石川喬司さんを委員長として、審査員に巽孝之さん、わたくし、ひかわ玲子と、それに、日本SF作家クラブ会長であられる谷甲州さん、塩沢SFマガジン編集長によって、十二月に早川書房の会議室において選考会を開き、厳正な審査の上、決定いたしました。
最終候補として、今回は四編の評論作品が残りました。受賞した二作品の他、橋本勝也さんの『『メタボリック文学』に抗って』、石和義之氏の『青春小説としての『果しなき流れの果に』 』の二作品が最終候補作となり、審査会で審査されることになりました。
全体としては、第一回のほうが、応募作品は多く、今回は前回に比べると応募数は減ったという話なのですが、内容的にはすべての最終候補作が内容的にはとても充実していて、水準は第二回目にして、早くも、とても上がっている、という印象を受けました。
さらに特筆すべきことは、今回受賞した礒部剛喜さんと、惜しくも受賞を逃された橋本勝也さんは、第一回でも最終候補作品に残り、さらに再チャレンジして、今回も揃って最終候補に残っている、ということです。
しかも、おふたりとも大きくグレードアップしていて、礒部剛喜さんは、受賞に到ったわけでございます。
こうしたことからも、評論賞、というジャンルは、このSF界には待ち望まれたものであったのではないか、とわたしは思います。
また、この評論賞の審査員をしていて、とても困るのは、この評論賞の選考は、面白い、ということです。SF者、というのは、講釈を垂れたがる傾向は昔からある、と思っているのですが、何かを批評したり、評論したりすることが、SF者は実は根っから好きなんじゃないでしょうか。
さて、肝心の選考過程ですが。詳しい選考過程についてはSFマガジンに掲載されると思いますので、それを待っていただくとして、簡単に。
まず、受賞を逃した二作品から述べさせていただきます。橋本勝也さんの「『メタボリック文学』に抗って」。前回も最終候補まで残られた方で、文章を読んだだけで「ああ」と思い出す、という独特の文体を持っておられる方です。前回とはまったく違う題材での再チャレンジですが、今回の評論の題材については、審査員全員からは概ね、好評でした。ホリエモン世代・エヴァンゲリオン世代である橋本氏が、たぶん、憎悪していると思われるいわゆるセカイ系、と呼ばれる物語世界を、自分の贅肉を見ないで、ひたすら自分に都合の良い世界を夢想している、と糾弾し、それをメタボリック文学、と名付けて、一刀両断にする、という論考は、なかなか独創的でした。独創性もあり、今的でもあり、また、評者自身が属する世代について語っている、という意味で、その世代に属する者しか語り得ないものについて語っています。ただ、全体的にはとても興味深く、面白いものの、結論までの文脈に無理があり、また、『メタボリック文学に抗って』というタイトルにもかかわらず、村上春樹という、すでに評価も定まり、つねに日本の文学界に君臨して、世界にも知られている、知らぬ者とていない作家にすべての解決をまかせる、というのなら、何も心配する必要も抗う必要も感じられない、そこでもう一歩、独創的な展開を見たかった、という意見が大勢を占めることになりました。
とはいえ、前回の評論より格段の進歩があった、という意味では、審査会では大きな話題をさらった作品であり、彼の今後に期待したいと思います。
石和義之氏の「青春小説としての『果しなき流れの果に』 」、これもとても大作です。小松左京氏の「果たしなき流れの果てに」を中心に据えて、小松氏の文学的ルーツを掘り下げ、作品論として展開しようとした評論でした。ただ、小松左京氏の文学論としては、先達の業績を越えているものになっていない、むしろ、先達を意識しすぎて、独自の論理展開が疎かになっているのでは、という意見が出ました。確かに、とても読みにくく、反論に備えて常に説明をしているような論理展開が続き、読者を相手に、というよりは、見えない相手と論争しているのを片方の意見だけを聞いているような、すべての論理にそうした不親切な展開があるように思えました。この評論賞は、プロの評論家の登竜門であるので、やはり、まず、作品と真摯に向き合い、読者と真摯に向き合っていただきたい。たいへんな労作ですが、そういう意味で、やはり、再チャレンジを期待したい作品です。
さて、受賞作についての講評に移らせていただきます。
海老原豊さんの「グレッグ・イーガンとスパイラルダンスを--『適切な愛』『祈りの海』『しあわせの理由』に読む境界解体の快楽」、そして、礒部剛喜さんの「国民の創世−−<第三次世界大戦>後における<宇宙の戦士>の再読」です。
まずは、海老原豊さんの「グレッグ・イーガンとスパイラルダンスを--『適切な愛』『祈りの海』『しあわせの理由』に読む境界解体の快楽」。
実は、わたし、イーガンはそれほど得意な作家さんではないのです。脳の中に閉じこめられた世界の、非常に視界が限られた物語──というのが、わたしのイーガン作品に対する印象です。正直、イーガン読む人は暗いよね、くらいの印象がありまして……すみません、イーガンファンの皆さん。いや、でも、そうしたイーガンの作品に対する印象を良い意味で覆してくださったのが、海老原さんのこの評論でした。それだけのインパクトが、あったのです。もちろん、だからといって、イーガン作品の本質が変わるわけではないでしょうが、とても愛情がこもった、「イーガンが好き」という読者にしかわからないであろう濃やかな分析で、わたしのような「あまりイーガンは得意ではない」というSFファンにも、イーガンの良さを丁寧に教えてくれます。ただ、ここまで分析したのですから、その先で、もうひとつ、大きなイーガン論に、さらに広くジャンルSF論まで持っていく筆力へとつなげていたら、たぶん、優秀賞ではなく、大賞に手が届いていたでしょう。とても惜しいです。
次に、礒部剛喜さんの「国民の創世−−<第三次世界大戦>後における<宇宙の戦士>の再読」。これは、第一回の審査会で最終候補に残った作品を大きく補完し、より完成度を高めた再チャレンジ作品です。
前回の審査会でも、磯部さんの、ハインラインの『宇宙の戦士』の主人公が、実はマイノリティのフィリピン系であったことの指摘を始めとした、さまざまな新しい視座は話題になりました。ですが、前回の作品は、かつて日本のSF界で大きな論争となったハインラインのファシズム論争を踏まえた反論のような形の作品であったのですが、今回はそうした視点は捨て、アメリカ文学としてのハインライン論に練り直されていました。『人形つかい』の中で示されている、書かれた当時のアメリカの反共思想についてなど、実によく、ハインラインが作品を発表した背景にあったものについて調べてあり、それがきちんと論理の合間のあるべき場所に適切に配されていて、とても筆力がある人だ、というのがわかります。また、わたしは個人的にはとても磯部さんには感謝したいと思います、ハインラインはわたしの敬愛する作家のひとりであり、けれど、『宇宙の戦士』や『人形つかい』などの作品は異質なものに感じられていたのですが、作品群に一貫性があることをきちんとわからせていただいたのは、磯部さんのおかげです。ただ、磯部さんのこの評論は、その当時のアメリカについてに終始し、読者が知るべき、それと並行した日本の状況については一言も触れられていない点など、やはり、もう一歩、「日本の評論」としてやるべきことがあるのでは、という意見も述べられました。
最終的に、海老原さんも、磯部さんも、甲乙がつけがたい上、両者ともに大賞に届くにはもう一歩があるのが見える、ということで、審査会で話し合った結果、今回、大賞はなし、優秀賞のダブル受賞、という形に落ち着くことになりました。
大変、レベルの高い戦いになった今回の審査会ですが、第一回に引き続き、優秀な人材を見いだすことができた、と思います。
今回、ちょっと残念だったのは、全体的にとても「文学的」になり、それはいいのですが、前回の鼎さんの作品のような、SFでしかありえないようなユニークな視点ものが最終候補作品に残らなかったことです。
レベルが高くなれば、どうしてもそういうこともありえるのですが、やはり、SFの評論賞である、という意義が欲しい。なので、SF的視点で、ユニークで驚くようなレベルも高い作品がどしどしと応募されてくるといいな、と第三回に向かっては思います。
簡単ですが、第二回SF評論賞の講評をさせていただきました。
受賞者のお二方、今日はおめでとうございます。
